# 008
MADOKA TATSUNO
October 01, 2014

GENRES
国際協力教育
地球市民を育てるグローバル教育
学生時代に参加したグローバル教育プログラム。大学を休学してこのメンバーと一緒に1年間世界各地をまわった。
Reported by Naoko Sasaguchi
— また17歳という多感な時期にその経験をできたことが良かったんでしょうね。ご自身の中でその後何か変化はありましたか?
帰国してからはこれまでとは一転して大学生や大人が出る勉強会に行くようになりましたね。小さな女子校に通っていたのですが、世界を見てからはもっと広い社会を見てみたいっていう気持ちがすごく強くなっていたんだと思います。海外に行って自分の中でたくさんの気づきがあったので、日本に帰って来たとき高校という枠を飛び出してみたんです。最初は恥ずかしかったけど、行動に移したことによって日本でも世界が広がったように感じました。
— その後も海外で活動されてたんですか?海外で活動するというのは具体的にどういうことをされてたんですか?
自分も学生時代に参加して、その後運営スタッフもやったアメリカのNPOがあるんですけど、そこは世界中20カ国から100人の学生を集めて世界17都市を1週間ずつまわって、ホームステイをしながらボランティアとミュージカルをやるんですね。それが半年間あるんですけど、すごい過酷なプログラムなんですよ(笑)。運営スタッフだけじゃなくて学生も大変で、滞在先のホームステイを100人分みつけてこいって言われて、一ヶ月半くらい前に現地に飛ばされて。リスト渡されて、片っ端から電話して、レストランで食事したらウェイトレスに、髪を切ったら美容師に声をかけて。ホストファミリーになりませんか?って(笑)。お膳立てされてるのではなくて、自分たちでいろいろやらないといけないんです。
もっと目の前の人と友達になること、その人に寄り添うこと、そうして何か自分の思いに気づいていくこと
— それはすごいですね・・・辰野さんはミュージカルやってたんですか?
いえいえ。それが素人で全然できなかったので、ミュージカルも特訓するんです。ブロードウェイで踊りたいっていうプロになりたいような子もいればド素人もいるので特訓するんです。発声から踊りまで全部。世界中滞在する各地の踊りや歌の歴史を学んだりしながら。例えばどうして黒人は足で踊るダンスをするのか、それは奴隷の時にしゃべれなかったから足で会話するしかなかったから、とか。そういう勉強をしながらミュージカルの練習をするんです。あとは内閣府が主催の「世界青年の船」事業という、世界を船でまわって多国籍の参加者と、ディスカッションや交流をするというプログラムにも運営側として関わっていました。
セブプログラムの様子。実際に、ラーニングセンターを将来利用するであろう子どもたちと交流。めいいっぱい遊びます。
— すっごく面白そうですね!!今更ですが、私も聞いてて参加してみたくなりました(笑)。そのような活動を経験してから今のお仕事をされているわけですが、やりがいというか、何かやっててよかったなって思うことはありますか?
世界の人とつながれる実体験を作れる、ってところですね。いま流行りの「グローバル人材」って、例えば「海外に出ている・出ていない」とか、「英語がしゃべれる・しゃべれない」っていうように、「私はグローバル人材だけどあなたはそうじゃない」っていう大きなボーダーがあると思うんです。でもそういうことではなくて、もっと目の前の人と友達になること、その人に寄り添うこと、そうして何か自分の思いに気づいていくこと、それが大切だと思うんですね。今の仕事をしていて良かったなと思うのは、そのことを体験を通じて伝えていけること。例えば、いろんな国の人たちと一緒に船に乗って世界をまわる中で、人種や国籍の違いを越えて友達になったり、その中から親友が出てきたり。参加する人がそういった体験をしていく手伝いができるってことが嬉しいですね。ほんとにこれって今の時代だからできることなんです。海外が身近になった今だからできること。これだけ世界がつながったから自由に冒険することができるんだと思うんです。
— 私も娘にたくさん冒険してほしいと思ってるんです。海外に行くと刺激的じゃないですか。私は22歳で結婚して25歳で娘が生まれたんですね。私自身もっといろんなところを見たかったなという思いがあるので、娘にはもっとそういう経験をさせて視野を広げてもらいたいと思っています。あなたの進む道はこれだよっていう風に決めつけないで、やりたいお仕事を自分で見つける力をつけてもらいたいなと。辰野さんは最近ご結婚されたということですが、ご主人との出会いはどのようなものだったんですか?
実は主人とは12年間ただの友達だったんです(笑)。元々は大学卒業して入った会社の同僚だったんですね。私はそのあと会社を辞めて留学し、世界を回っていたんですが、彼も同じく会社を辞めた後にアメリカの大学院にいき、その後世界をまわる旅人をしていたような人です。今、彼とは、GiFTの活動に共に取り組んでいて、海外でのプログラムも一緒に運営したりしています。今までは一人で世界に行っていたけど、やっと一緒にまわれる人に出逢えたんだなぁ、という感じです。