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これからのかっこいいライフスタイルには「社会のための何か」が入っている。社会のために何かするってそんなに特別なことじゃない。働いてても、学生でも、主婦でも日常の中でちょっとした貢献ってできるはず。これからはそんな生き方がかっこいい。r-libではそんなライフスタイルの参考になるようなロールモデルをレポーターたちが紹介していきます。
# 043
Kazushi Hosaka
February 12, 2019

r-lib | 松林うらら × 保坂和志 「小説的思考塾」  開講記念 特別インタビュー【後編】

GENRESArrow文化

「小説的思考塾」 開講記念 特別インタビュー【後編】

小説家の保坂和志さんの独占インタビュー。インタビュアーは緒方貴臣監督の『飢えたライオン』で主演をつとめる松林うららさん。後編は猫の話から始まり、小説家や役者にとっての一人称と三人称の話、また芸術に奉仕するとはどういうことなのか等、深い話で盛りだくさんです。

Reported by Urara Matsubayashi


編集長S: さて。後半は猫のことから始めましょうか。

松林: 猫を飼い始めてから家族が変わったんですよ。私が小学校の時から犬を飼ってたんですけど、亡くなってから猫を飼い始めたんです。今二歳になるんだけど、飼い始めてから家族の雰囲気に変化が起こったんですよね。猫ってそういう力があるのかなって最近思ったりします。

保坂: 猫は不思議に、みんなそういう風に感じるんだよね。猫を本当に大事に飼ってる人たちって、猫の独特の力を感じる。猫のおかげで知り合いが増えたとか、自分自身の生活や人生観が変わったって。とにかく猫は深い教えを無言のまま人に伝えてくれる。

松林: 無言なんだけど、深いんですよね猫って。





保坂: それが猫なんだよね。

松林: 猫って演じてると思いますか。甘えてくる時は凄く甘えてくるけど、そっぽ向く時は本当にそっぽ向くから、役者だなって思ったりするんですよね。

保坂: 役者というよりはもっと深いところで反応してて、相手の欲しいものを反応で返してくれるわけ。

編集長S: イタコみたいな?

保坂: それほど分かりやすいものでもないんだよ。イタコっていうのは第三者が見てても「イタコだな」ってわかるじゃん。猫の場合は、猫と飼い主の関係は、猫に関心のない第三者にはわからない。でも猫に関心のある人は、飼い主と独特の深い関係を作り出すなっていうのがわかるんだよね。

松林: 確かに外にいる猫にも注目するようになりました。話してることが分かる気がするんですよね。

保坂: 僕もずっとウチで犬飼ってたけど、犬って飼ってる間は、他の犬にはそんなに関心持たない。連れてる同士でも、特に僕の時代っていうのはそんなに犬を躾けてないから、すぐ喧嘩になっちゃうんだよね。唸りあったりするから、他の犬とすれ違うのは迷惑な感じがあったりしたんだけど、猫の場合には自分の猫を愛すると他の猫も愛するんだよね。それが不思議なんだよ。

松林: そうですね。自然と「こんなに近所の人も猫飼ってたんだ」って注目するようになったりしますね。

保坂: 表面的には、猫って干支の中に入ってないわけ。

松林: その話凄い好きなんですよね!

保坂: その話は色々説がある…なんて聞いた?

松林: ネズミが猫にいじめられてきたから、嘘の日程を伝えて騙したっていうのは凄く好きな話ですね。猫は間に合わなかったんですよ。悪者にされてるし、ホント可哀想です。

保坂: 仏教的に十二支の中に猫が入ってないのは、ずっと猫年だから。いちいち言う必要ない。ネズミも猿も12年に一度だけど、猫はずーっと猫年なの。猫は、ネズミが経典を齧らないように、経典を守るために存在してたから。だからお釈迦様のためにネズミ退治をする猫は、もともとお寺には重宝されてたんだよね。でも、それも全部表面的な話で、猫は、自分の家に猫がいると他の猫も愛するっていう、独特の作用がある動物なんだよね。飼ってみるとわかるんだけど。

「猫が猫として」この世界をどう感じてるのかは、書けたら書きたいね。


松林: 柔らかくなるというか、確かに犬の時とは私も性格が変わった気がします。保坂さんは、猫になりきって小説を書きたいですか?

保坂: 冬の寒さ、夏の暑さ、草や人と触れるときの感じとか、本当に「猫が猫として」この世界をどう感じてるのかは、書けたら書きたいね。幸せだよね。

松林: 保坂さんが見る、猫の視点で書かれた小説があったら読んでみたいですね。こないだ保坂さんのネコメンタリーを観ました。さっきも携帯から、猫にあげるエサの時間が鳴るように、カレンダーが面白いなと思って、カレンダーに「今日すること」って。

保坂: したこと。猫が何時に何を食べたか。

松林: 見返したりとかするんですか?





保坂: 特にこないだの夏みたいに暑いと、外にいると大変だから食欲なくなっちゃうんだよね。ここ三日間は印象としてはちゃんと食べれてないようだけど、二週間前はどうだったかな?いや、やっぱあんま変わってないなって確認できる。印象ってこっちの心の状態でも変わっていっちゃうから。だからネガティヴな感じの時には、ちゃんと食べれてないんじゃないかって考えすぎたりする。そのために記録をつけてるけど、健康な猫には必要ないんだよ。やっぱりシロちゃんは15才だから。

松林: あ、15才なんですね。シロちゃんはどこで出会ったんですか。

保坂: うちの前に、最初にマミーちゃんっていう猫がいて…話すと長くなっちゃうんだけど(笑)。マミーちゃんは2000年に来て、2001年に2匹生んで、2002年にも2匹生んだの。で、2001年の2匹のうちの1匹のミケ子が、今のシロちゃんの兄弟の4匹を2003年に生んで、マミーちゃん自身も2003年に3匹生んだの。2002年の子たちは他の場所で生んで、直接その子どもたちを僕は知らないんだけど、これで7匹でしょ。それに親であるマミーちゃんとミケ子がいて、2002年の1匹がいて、それで10匹で…それにもう1匹他の猫がいて。最大で12匹か13匹いたんだよね。やっぱりオスが行方不明になったのと、交通事故で死んだのと、あと他の子達も段々死んでったりいなくなったりして、20015年からシロちゃん1匹になっちゃった。





松林: そうなんですね、一匹になっちゃった…‥

保坂: でも猫もいろいろ性格違ってて、シロちゃんはあんまり他の猫と仲良くしたくない性格なんだよね。

松林: シロちゃんは全然懐かないって保坂さん言ってましたもんね。

保坂: 懐かないし、一人でいることが寂しくない。今また、リンちゃんって猫がウチに上がってきてんだけど、その子なんかは人に撫でられたいし、寂しがるタイプ。シロちゃんはホントに寂しくないんだよね。





松林: おばあちゃんが飼ってた猫は、家で飼ってたけど外にいて、でも必ず猫ってちゃんと帰ってくるじゃないですか。猫が死ぬときは、人に迷惑をかけたくないから一人で死にに行くって聞いたことがあったけど、その猫は外じゃなくてお風呂場で死んだんですよ。なんかおばあちゃんのこと考えて死んだのかなとか、人の気持ちを読み取れるというか。それってなんだろうなって。

保坂: えっとね。それってなんだろうなっていう、今のそれがテンプレートなんだよ。

松林: これがテンプレートか!テンプレート出ちゃいましたね(笑)!

保坂: ホントは考えてないのに、なんだろうなってみんな言っちゃうんだよ。それってなんで?みたいにみんな結構言うんだけど、それを言う前に、もう一度心の中で人に言わずに考えよう。それは誰も答えられないから。

編集長S: ちょっと話題を変えて、聞きたいことなんですが、役者と小説家の両方に関係すると思いますが、没入と俯瞰の問題を。役者は特に強い感じもするかなと思いますが。

松林: あ、それ聞きたいです。

保坂: えっとね、これは不思議なんだけど、人の中に、情景を俯瞰してる視点があるんだよね。その瞬間を思い出したり、映像化したり、絵に描くような時って、今こうやって見てるふうには描かずに、斜め後ろの上から見てるような人の配置で思い描くんだよ。脳にそういう機能があって、没入してても絶えず没入してる自分を幽体離脱的に見てるわけ。だから過去を回想するときにはだいたいこっちが出てくるんだよね。自分の目がそのままカメラになる回想ってあんまりない。ほとんどの人が斜め後ろの上からなんだけど、斜め前っていう人もいるらしい。

編集長S: 自分も映るってことですか。

保坂: そう。自分の顔が映る人も一部いるらしいんだけど、だいたいの人は後頭部の方から。もともとある機能だから、あんまり自分を客観的に見ろみたいな言い方は、する必要ないと思うんだよね。自然とその作用があるから。

松林: わざわざ切り離す作業は必要ないってことですね。

編集長S: 例えとして適切かどうか分からないですけど、スポーツ選手で言うゾーンみたいなのってあるじゃないですか。あれに入ってる時って、没入してる状態のほうが強いのか、それとも遠めな感じで、冷めて、俯瞰してるものなんですかね?

「その時」っていうのを思い出すと、原稿用紙に書いてる自分の手と原稿用紙だけみたいな印象がある


保坂: 没入だと思うんだけどね。僕なんかは普段、斜め後ろからの視点があるから、無いときのほうが、つまり没入してるときのほうがそういう状態に近い。「その時」っていうのを思い出すと、原稿用紙に書いてる自分の手と原稿用紙だけみたいな印象がある。

編集長S: そういう瞬間のほうが良いもの書けてるって感じはあるんですか?

保坂: ホントにそれぞれ音楽でも演技でも、全部そこは問題になるところで、どっちを良いというかは、わからないんだよ。ちゃんと良い状態にある人の中にはどっちもいると思うし、個人の傾向だと思うんだよね。最終的に自分の、中からのほうが強い人か、外から見るほうが強い人かでそこは変わってくるんじゃないかと思う。

 凄く面白いことを言ったトレーナーがいてさ。ケンケンする時に、こういう(上げてる脚が後ろにいく)ケンケンになるか、こういう(上げてる脚が前にいく)ケンケンになるか…これがその人の体の運動の二種類なんだって。ねじりなのか伸ばしなのかで、その人の力の出方、出しやすさが違う。それがわかることが大事なんだって。





松林: これはどっちが良いとか悪いとかではなくですか?

保坂: 持って生まれたものなんだって。でね、もうひとつが、指一本で引っ張るときに、人差し指に力が入るか薬指に力が入るかで、それがねじりの人か伸ばしの人かの違いらしい。僕はどっちかっていうと、薬指が引っ張りやすいんだよね。

松林: あ、わたしも薬指かもしれない。





保坂: 薬指のほうが一見、力が入んないと思うんだけど、僕は薬指のほうがよく引っ張れる。そういうふうに、全く気付かないところで、自分自身は自分の体しか持ってないから、心も思考回路も自分では気付かないところにあるんだよね。自分を内側から見てるか、外側から見てるかでもうひとつ話があって、体操の内村航平に一番難しい演技の映像を見せて、それをイメージさせたときの脳波を取って、脳のどこに血流が流れるかっていうのをNHKスペシャルでやってて、そのときに内村は自分の体を動かす場所に血流が流れてたのね。で、もうひとり高校選手権で優勝した高校生にイメージさせたら、彼は見るほうのところに血が流れてたのね。だから視覚野でそれをイメージしたわけ。自分を第三者として見るイメージで、内村のほうは自分の体で動くイメージだったわけ。

 僕も「誰かがチョンと肩をつついた」って書くときには、自分は突かれるほうなの。突く映像としてよりは突かれる感触のほうが、僕は書くときに大事なわけ。だからあんまり三人称で書くっていうのがないんだよね。自分が三人称で書くことに関心を持てないのはそこにあったのかなって、それ見て思ったんだよね。だから没入って話のときも、完全に一人称の話で没入になるか、没入を見ている三人称のほうで没入になるかは人によって違うと思うんだよ。





編集長S: そこまでいくと、一人称と三人称は対義語ではないってことですかね。

保坂: 野球の落合監督の話なんか聞いてると、僕は右バッターだから、右バッターにしか教えられないって言うんだよ。落合は一流だから、右の限界と左の限界を知ってるわけ。そこが一流までいかない人は同じレベルなんだよ。ねじりか伸ばしかどっちが得意?みたいな。でも一人称と三人称のどっちが得意ってとこまでいってないんだよね、大抵の人は。だからどっちもありみたいに思ってる人はやっぱり駄目なんだよ。

松林: どっちもありは駄目なんだ。どっちか……

保坂: 多分ね、多分。



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保坂和志

保坂和志Kazushi Hosaka

PROFILE

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保坂和志(ほさかかずし)
1956年 山梨県生まれ。鎌倉育ち。
早稲田大学政治経済学部卒業。

1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、2013年『未明の闘争』で野間文芸賞、2018年、『ハレルヤ』所収の「こことよそ」で川端康成文学賞を受賞。その他の著作に『カンバセイション・ピース』『小説の自由』『書きあぐねている人のための小説入門』『朝露通信』『猫の散歩道』ほか。

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by 松林うらら
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