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# 041
HIRONOBU KUBOTA
September 26, 2017

r-lib | r-lib編集部 × 久保田弘信 戦場ジャーナリストの後ろ姿 #9

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戦場ジャーナリストの後ろ姿 #9

戦場ジャーナリストの久保田弘信さんが、友人のシリア難民に会いにオーストラリアに行くというので、10日間の密着取材をした。仕事に対する姿勢や、リラックスの仕方まで幅広くその哲学を垣間見る機会を得た。そして期せずして、戦場ジャーナリストに至る原点までを辿る旅となった。その貴重な時間を記した特別連載企画・最終回。

Reported by r-lib editorial

10日目


今回の旅もこれで終わり。Tさん夫妻には最後までよくしていただいた。朝食を取って空港に向かう。気のせいか、久保田さんはまだ口数が少なかったように思う。空港のテレビでは、日本の孤独死についての番組が流れていた。日本のテレビ局では流さなそうな、かなり際どい描写もあり、海外の報道との差を感じる(どちらが良いとか悪いとかいう話ではない)。

飛行機の中で『SCOOP!』という映画を観たのだが、劇中の主人公のセリフで本当は戦場カメラマンになりたかったというものがあった。そうか、戦場カメラマンはそんなに憧れの職業なんだ、と再認識したし、この映画を観てる瞬間も一緒にいるんだなと思うと不思議な感じがした。

今回「取材の取材」という形で同行させてもらい、戦場でもない平和なオーストラリアとシンガポールだったが、それでも間近で久保田さんを見ていて得るものは大きかった。なんとか考察を盛り込みながら言葉にしてみた今回の連載は、僕自身が勝手にそうあって欲しいと思う姿を投影しただけかもしれない。

もちろん戦場であれば、通常発揮されない危機管理能力を垣間見ることができたに違いない。殺気立った雰囲気で怒鳴られることだってあるだろう。その点、実際にそういう場面に遭遇して感じるよりも、ちょっとしたきっかけから想像を広げていく方が、解釈の幅があるともいえる。だから読者のみなさんには、この連載をフィクションだと思ってもらってもいいくらいだ。

身も蓋もない話になってしまうが、今回その後ろ姿を通して僕が追いかけたのは、久保田弘信でも戦場ジャーナリストでもなく、不条理を引き受けつつも生と死に向き合い続けるという姿勢そのものだったのかもしれない。特に、剥き出しの人間性が生み出す不条理から目を逸らさないことの意味を知りたかったのかもしれない。





こうやって改めて書いてみて思ったのが、なによりも僕自身のためになったということだった。昨年の夏にザータリ難民キャンプを初めて訪れ、パレスチナも再訪したが、期待していたようなものが書けず挫折感を味わっていた。刺激的な事象を目の前にしただけでは、逆に本質的に僕が捉えたいことは隠れてしまい、そこを見通す力もなければ経験も無さすぎた。まさに僕に欠けていたのはそういった姿勢だった。

その点では少し活路が見いだせた。派手な事象ではないながらにも、静かに観察して自分の思ったことを盛り込む方が、僕には合ってるかもしれないということに気がついたからだ。ジャーナリズムには向いていないが、誰かがその姿勢を想像することの手助けはできるかもしれない。(久保田さんの背中に、自分がそうあって欲しいと思う世界を投影してる時点で、フラットな視点が歪められている自覚があるので)





連載のまとめとして、以前久保田さんと2人で飲んでる時に、何気なく言った例えに関して考えてみたい。僕は久保田さんからいろんな話を聞いていく中で、ふと彼のような戦場に通うジャーナリストは、遥か昔の僧侶に似てるんじゃないか、と言ったことがある。別にぴたりとハマるうまい例えでないことはわかっている。全く異なるような部分もたくさんある。でもなんとなく、そんな気がしたのだ。どうしてそんなことを言ったのか、酔っ払ったその時に浮かんだ共通点は、結局思い出せないまま今まで宙ぶらりんになっていたので、無理矢理こじつけることになるかもしれないが、これを機に考えたい。


といっても、昔の僧侶がどんなだったかなんて正直そこまで詳しくない。ただ、現代の僧侶に比べてもう少し死に近いところにいたんじゃないかとは思う。世の中の不条理を知りながらも命がけでそこに留まり続けて、人の生死と向き合い続ける姿勢。真理に辿りつくためにストイックであり続ける姿勢。現代においてそれを体現しているのは戦場ジャーナリストなんじゃないか、というのがすぐに思いつきそうな言葉だ。でも僕が感じたものはその後ろにあるような気がする。


不条理は生きていれば遭遇し得ることで、社会インフラの未整備、戦争や飢餓状態にある現場においては再現されやすい。いわゆる先進国というのは、そういう不条理を生み出す社会的な不確定性を極力コントロールする方向で発展してきた。だから僕たちは、「運が悪かった」と思えるほどに不条理を排除した環境で生きている。

頭ではわかっていても、突然末期ガンの宣告をされたり身近な人が殺されると不条理が襲ってくるように感じる。人が死ぬという事実が不条理に思える。多くの人は、その時になって初めて真剣に向き合うことになる。

久保田さんは不条理の見えにくい世界と見えやすい世界を行き来している。媒介者として、僕たちの社会に不条理の存在を気付かせる役割も果たすし、現地の彼らの社会では久保田さん自身が不条理な存在として見られることもあるだろう。違う世界との境界線上にいる存在という意味では、僧侶ではなくて、昔の人が霊媒師(シャーマン)を通して霊界と交信していたという方が近い例えかもしれない。どんな胡散臭い例えだよ、と笑われるかもしれないが、古代において霊媒師に対して人々が抱いていた畏怖の念に近いものを、現代の僕たちは戦場ジャーナリストに対しても感じているんじゃないだろうか。

霊媒師の憑依と戦場ジャーナリストの取材は、背後に死の世界を感じ、自分のあずかり知らない世界の姿を突きつけてくるという意味では畏怖の対象になる。こじつけるのも甚だしいと思われるのは十分承知している。でも、インタビュー中の久保田さんのあの背中に感じた雰囲気は、そういう表現であれば納得がいくのだ。





境界線上に立ち続ける久保田さんの背中に、僕は崇高さを見る。その崇高さは、聖者みたいな意味ではない。矛盾する気持ちを抱え続けて踏ん張っている姿がそう思わせるのだろう。

勝手に人間がそう捉えてる不条理も、人間の外の世界からみれば自然の摂理のようなものだと、突き放しているように遠く感じる背中もある一方で、悲しい話をしてくれる時には、そんな不条理に揺さぶられ続け、優しい眼差しで絶望してるんだろうなと思わせるような背中でもある。そういう孤独な矛盾を1人で背負っている姿が崇高に思えるのだが、背中ひとつでそこまで想像させてくれる人はなかなかいない。悲しみを引き受けられた人が持てる優しさ、なんていったらキザな言葉でまとめ過ぎだろうか。

悲惨すぎる死を見聞きする中で人間性の真理の一面に触れ、「どうしてこんなことが」という叫びから「それが人間なんだ」と納得しようとする矛盾した気持ちを同居させるには、どんな経験をして、それに対するどんな解釈があれば乗り越えられるのだろうか。


戦争から帰国して山にこもり、最後には泣きながら鹿と話して下山したというエピソードを思い返してみると、少しは想像する手がかりが掴めそうだ。そういう不条理を最後に呑み込んでくれるのは、きっと大自然しかないという仮説だ。

たくさんの過酷な環境を見てきた久保田さんの死生観を勝手に想像してみる。そこでは人間の生死は圧倒的な自然の中に溶け込んでいる。こんな世の中に対しても、わずかな肯定が生まれるのは人間を包み込む圧倒的な自然が存在してるからだと言っていいかもしれない。それは人間が存在し、触れ合うことの価値も間接的に教えてくれる。世捨て人にならずに、下山してこれたのは、彼の中でまだ人間に期待しているからだろう。

そんな世界に対しての肯定がなければきっと誰かのために動くことはできない。そして、その肯定を支えているのが、久保田さんにとっては、サーフィンなどを通して自然と一体化することなのだ。

境界線は大自然それ自体の中にもある。山が神域になったりするのもそのためだ。その境界線を行き来できる人間は、不条理という概念さえも越境できるはずだ。圧倒的な大自然に包まれたことがある人は、「人間の存在なんてちっぽけだ」と言ったりするが、その感覚というのは、人間が作り出した不条理を超える存在に気付いたからに違いない。

僕はまだ実感として得る機会はないが、そういう境地があるんじゃないかという漠然とした予想をして、この宙ぶらりんのままだった例え話には、ひとまず決着をつけたいと思う。



10日間の旅は終わった。あまり経験することのない奇妙な旅だった。帰国して、駅前でラーメンを食べてからいつものように別れたことさえも、不思議に思える。

そして、しばらくして彼はまた戦地へと飛び立った。

僕はこれからも、その背中に崇高さを感じながらも、彼が抱える矛盾を愛でるだろう。そしてその背中が、僕らの日常と不条理な世界との境界線なんだと思いながら、しばらく過ごすことになるだろう。






※あとがき

論文のようにキレイな形で展開していく必要はないし、せっかくなので思いつくままに書き散らしてみた。ひとりの人間の実像を、直線的な論理展開から導き出せる気の利いた言葉に集約することはできない。期せずして、最終回はタイトル通り「後ろ姿」に集約されたが。
言葉の使い方も含めて整合性のとれてない箇所がある。全体を通してみると矛盾してたり言葉の定義が微妙に変更されてても、部分でみると、そうとしか書けないほどにピタリと適した言葉になっていたりする。修正しようとしたが、結局のところ、こうした矛盾さえもひとりの人間の中には存在するし、あながち間違ってもいないことに気付いたので、そのままにしておいた。
なによりも、キレイにまとめられるほど久保田さんの存在は単純ではない。書き散らして矛盾だらけになったとしても、その全部が本当なんだよなぁという魅力。それが今回の連載を進める原動力になった。本当は未消化なのだけれど、それは次回の連載、もしくは違う形での執筆に譲ることにして、今回の連載は終えたいと思う。





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久保田弘信

久保田弘信HIRONOBU KUBOTA

PROFILE

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岐阜県大垣市出身
大学で宇宙物理学を学ぶも、カメラマンの道へ。旅行雑誌の仕事を続ける中で、ストリートチルドレンや難民といった社会的弱者の存在に強く惹かれるようになる。1997年よりアフガニスタンへの取材を毎年行う。2001年のNYテロを契機に、本格的に戦地の報道に関わりはじめる。アフガニスタン・カンダハルでの取材や、イラク・バグダッドにおける戦火の中からの報道を通して、自らの想いを世界に発信し続けている。近年はシリアでの取材に力を注ぎ、また日本での講演活動も精力的に行っている。

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