# 039
HIRONOBU KUBOTA
July 09, 2017

GENRES
国際協力
戦場ジャーナリストの後ろ姿 #7
戦場ジャーナリストの久保田弘信さんが、友人のシリア難民に会いにオーストラリアに行くというので、10日間の密着取材をした。仕事に対する姿勢や、リラックスの仕方まで幅広くその哲学を垣間見る機会を得た。そして期せずして、戦場ジャーナリストに至る原点までを辿る旅となった。その貴重な時間を記した特別連載企画。
Reported by r-lib editorial
7日目
久保田さん憧れのゴールドコーストでサーフィンも楽しめたし、僕たちはとりあえず今回のオーストラリア取材をなんとか終えることができた(僕の撮影ミスはあったが・・・)。そしてオーストラリアを発ち、シンガポールに数日滞在してから帰国する。
オーストラリアは2人とも初めてだったので、僕もいろいろ事前に調べたりしたのだが、実は久保田さんは昔シンガポールに長期滞在して何度も訪れたことのある国らしいので、完全にお任せすることにした。僕はシンガポールも今回が初めてだった。
夜に空港に着き、土地勘が全くないので、とりあえず久保田さんの後をついていく。宿は狭くはあるがとても綺麗で、近くにあるお店のザ・東南アジアって感じの晩御飯も安くておいしかった。それから久保田さんがちょっと思い出の場所にいってみたいというので、そこにもついていくことに。事前にシンガポールが原点だということは聞いてはいたけれど、やはり戦場でもなんでもないシンガポールが原点と言われてもピンとこない。
クラーク・キー(Clarke Quay)という場所に来た。そこでビールを買って、橋の上で他の観光客にならって座り込んで飲むことにした。「REVERSIDE POINT」と書いてあるネオンをずっと無言で見つめる久保田さん。初めてここに来たのは25年くらい前になるらしい。その時は旅行雑誌の写真を撮る仕事をしていたものの、シンガポールで出会った1人のパキスタン人がきっかけとなって戦場ジャーナリストへと転身する。それからの20年以上という歳月の重みは僕にはわからない。
久保田さんがデビュー戦の話をしてくれた。何度か聞いたことのある話だが、場所が場所だし、酔った勢いなのか、今回は今までよりもずっと詳しく話してくれた。それはポル・ポト派の残党が残るカンボジアの内戦だった。そこで、慣れない戦場で木に隠れて立て膝でフィルムを交換していたら、木を貫通して膝に被弾したのだ。本来通りに伏せて交換していたら額に当たって死んでいただろう、という話は折に触れて何度か聞いたことがあった。
ところが、その話には続きがあった。初めての戦場でガイドをしてくれたミャンマー人は、まさにその瞬間、久保田さんの隣で腹部に被弾して亡くなったのだ。30分から1時間くらいうわごとを言いながら久保田さんの腕の中で亡くなったその友人は、形見のネックレスを奥さんに渡してくれと頼んで息を引き取った。そしてなんとかその場から逃げ延びた後に、彼は奥さんのもとに泣きながらネックレスを渡しに行って報告したらしい。すると、奥さんは気丈に振舞って「そのネックレスはあなたが持っていてください」と言った。
久保田さんは今でもそのネックレスを肌身離さず身に着けている。こんな悲しい話があったなんて僕はこの日初めて知った。
いつもふざけて「もうこんな仕事ホントにいますぐ辞めたいよ」と久保田さんが言い、僕らが「またまた~何言ってんすか!」というやり取りをするのだが、「でも今まで死んでいった友人たちがいるから、辞めたいと思ってるのに行っちゃうんだよね。彼らの死を無駄にしないためにも」という、その彼らの1人、しかも初めて亡くなった人の話を聞いて、僕は本当に単純で感情的なリアクション以外取ることができず、言葉が続かなかった。
あのインタビューをしていた時の背中とは違う、でも物凄く大きな何かを背負っている背中、業といっていいのかわからないが、自分が巻き込んでしまって失われた命という自責の念があるのかもしれない、そういう覚悟とも似た感情を僕は感じ取った。適切な例えではないかもしれないが、僕らの祖父の世代が、亡くなった戦友を弔うために戦地にいくような、そんな亡き人たちへの崇敬の念と、残されていまだに生きている者の使命感。
言葉で書くとなんてチープなんだろうと思う。こんな文章を久保田さんにチェックしてもらうのも怖くなるくらいだ。どんなに言葉を尽くしても言い足りない気持ちというのはある。そこに命を賭けているのだから、やはり本当は僕なんかが書くべきじゃなくて、本人にしか書けない言葉なんだと思う。でもあまり彼は自分では多くを語らないから、こうして僕が記録という意味も込めて書き綴らなくてはいけない。僕が今回同行した一番の仕事は、彼の仕事を間近で見て、こうして記録していくことだと思っていた。
いつか誰かが彼の意志を継ぐことになる、その時に必要とされる文章なんだと僕なりに信じているからだ。
そのあと、少し周辺を歩いた。いつもより僕らの口数は少なかったと思う。久保田さんは思い出に浸っていたし、僕も尊重するように沈黙が多かった。そろそろ夜も更けてきて帰路に着こうと歩いていると、ショーウィンドウには「Clarke Quay Past & Present」という象徴しているかのような文字が現れた。
そして、クラーク・キーを抜け切るところにあった最後のお店が、路地に面したステージのあるバーで、Oasisの『Don’t Look Back in Anger』をコピーバンドが歌っていた。久保田さんは立ち止まって聴き入る。僕も好きな歌なので路上にたかる周りの人たちと一緒に歌う。
すると、突然激しく雨が降ってきた。とても蒸し暑かったし、雨が心地よくて僕はそのまま雨に打たれながら大きな声で歌っていた。実は久保田さんはその時涙を流していた。雨に濡れていたので、言われるまで気付かなかった。僕はこの日の夜を一生忘れないだろう。人生の思い出に残る場面ではたいてい雨が降っているから。