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これからのかっこいいライフスタイルには「社会のための何か」が入っている。社会のために何かするってそんなに特別なことじゃない。働いてても、学生でも、主婦でも日常の中でちょっとした貢献ってできるはず。これからはそんな生き方がかっこいい。r-libではそんなライフスタイルの参考になるようなロールモデルをレポーターたちが紹介していきます。
# 037
HIRONOBU KUBOTA
June 12, 2017

r-lib | r-lib編集部 × 久保田弘信 戦場ジャーナリストの後ろ姿 #5

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戦場ジャーナリストの後ろ姿 #5

戦場ジャーナリストの久保田弘信さんが、友人のシリア難民に会いにオーストラリアに行くというので、10日間の密着取材をした。仕事に対する姿勢や、リラックスの仕方まで幅広くその哲学を垣間見る機会を得た。そして期せずして、戦場ジャーナリストに至る原点までを辿る旅となった。その貴重な時間を記した特別連載企画。

Reported by r-lib editorial


いろいろと考えさせられた教会からの帰りに、僕らは青空市場に行った。とても驚いたのだが、オーストラリアのブリスベン近郊の街トゥーンバという田舎町の市場なのに、僕は今まで旅したどの大都市にも負けないくらい、均等に多様な人種を見かけた。

聞くところによると、ここらへんの地域はかなり難民などを受け入れているようで、アフガニスタン人やスーダン人を始め、出身国を聞いただけでも世界中から人が集まっているような印象を受けた。

そしてここでもバシャールは多くの人に積極的に話しかけていた。あまりにも普通に話してるので、また知り合いと出会ったのかと思いきや、今話しかけて仲良くなったという。こうやって彼の英語力は上がっていくのだろう。



(上写真:久保田弘信)

市場のあとには、ショッピングモールにも寄って帰宅したのだが、そのまますぐに近くの公園に行ってBBQをした。トゥーンバの公園では、予約もなしで無料で公園のBBQ設備を使えるらしい。4人でのんびりピクニック気分でBBQ。明日には発つので、こういう触れ合いはこれが最後になる。だから本当は、呑気にBBQしてて大丈夫なのか、インタビューするならラストチャンスなのに、という焦りが僕にはあった。




ところがBBQから帰ると、突然久保田さんが今からインタビューやるよと言う。バシャールに伝えると二人とも快諾してくれたということだ。いつの間にそんな話をしていたのだろうか。ようやくやってきた名誉挽回のチャンス。今度ばかりは失敗できない。

久保田さんは一眼レフを三脚で固定してその後ろに座って話す。僕はさらにその後ろからビデオカメラで個々の表情や全体を撮るという感じだ。

淡々と当時の状況を聞く久保田さん。

初めて見る後ろ姿はジャーナリストそのものだった。何故か僕だけがその後ろ姿に緊迫感を感じていた。

ちなみに今回オーストラリアに来たのは、ステレオタイプに連想する難民の困窮した生活だけではなく、多少の苦労はあるものの先進国で幸せに暮らしている難民像もある、ということを伝えるためでもある。僕の理解では、基本的に彼は他の人が伝えるようなことは誰かに任せて、できる限り自分しか伝えられないようなものを探している。そうはいっても、今回は派手さがないので、世間的に注目されることはない取材だろう。

久保田さんは危険なところに行っているわりには、壮絶な体験を発信することが少ない。ベテランの戦場ジャーナリストともなると、あまり派手さを求めなくなるのかもしれない。少なくとも彼の写真集を見ても凄惨な写真は出てこない。これが戦場なんだぜ!というような写真は見当たらない。

僕は正直言うと初めて写真集を見せてもらった時に、どれだけ戦場のクールな写真撮ってるんだこの人は、と期待していたので肩透かしを食らった。あれ?普通・・・これ普通に自分が中東とかアフリカを旅してた時に撮ってた光景とそんなに変わらないじゃん、と思ってしまった。派手さがなかったからだ。

でも、久保田さんの作品に親しむうちに最近では、これぞ戦場ですという写真を見ると、クールだなぁとは思うけど、これを撮って来た自分って凄い!というような感情も垣間見えるような気がしてきて、それよりもその人の被写体に対しての気持ちがどうなのかを気にするようになってしまった。まぁ僕がその場にいたらそういうクールな写真を撮りたいと思うだろうけど(笑)。(注:もちろんそんな自己顕示欲を投影してないのにクールな戦場の写真はたくさんあります)

つまり、久保田さんの写真に触れるようになってから、いつの間にか、被写体に対しての思いが写り込んでるかを見るようになっていた。特に戦場に関する報道写真はネタとなる被写体がセンセーショナルになりがちだから、撮ってる側の「いいネタいただき!」という気持ちが先走って被写体を(極端な表現だが)物質として捉えるのか、優しく見守るようにシャッターを切るのかで、写真は全く変わってくる。写すことで写されてるものが写真の中にはあるのだ。「それ」を撮ろうとする自分の意思は反映されてしまうものだ。


「若い頃は有名になりたいという欲求もあったし、ガツガツしてたよ。そりゃドンパチやって血がドバーッと流れてるような、これぞ戦場という絵は確かに求められてるのかもしれない。でもそんな写真は何度も見たいと思わないものだよ」久保田さんは以前そんなことを言っていた。

みんながその写真を見たらフッと気が緩むような、少し優しい気持ちになれるようなものを被写体に選ぶ。慈しむような眼で見守りシャッターを切る。見た者は、それが戦場なんだと知って、あぁこんな人たちがそこにいるんだ、ということに気付く。それが彼流の伝え方なのかもしれないし、凄惨な現場をたくさん見た末に行き着いた久保田さんの結論なんだと思う。


だから久保田さんが、できるだけ親身になって話を聞いて、その自然な流れの中で引き出せない限りインタビューは諦める、と言うのも頷ける。僕はインタビューの派手な展開は期待もしなかった。

インタビューでは主にバシャールの母親が話していた。どこからどこに逃げたのか、その時街はどんな状況だったかを訴える。ところどころでバシャールが補足する。会話自体は、和やかな雰囲気というわけではないし、適度な緊張感はあったと思う。

後ろから観察していた僕が思ったのは、久保田さんの背中を境にして空気が変わってることだった。目の前の二人には気を遣い、優しく聞きだす一方で、背中には張り詰めた緊張感があった。単純に僕が初めて久保田さんの本格的な取材の瞬間を見たからそう思ったのか、もしくは、もう失敗するなよという威圧感を勝手に感じてそれを投影しただけかもしれない。でもそこは、慈しみと緊張感が奇妙に混ざり合った空間だったと思う。

すると突然、バシャールの母親は感極まって涙を流し始めた。今まで淡々と経緯を話していたのに、突然だ。オーストラリアへの難民申請が却下されてしまった友人家族の話をした時だった。あの肝っ玉母ちゃんが悲しみをさらけ出したのだ。僕のビデオカメラはその表情にズームしていく。人の涙を撮るというのは、なかなかこちらの気持ちも揺さぶられるものだ。報道や芸術の強い使命がなければ、毎回受け止めていくのは大変だろう。

去年、僕がザータリ難民キャンプやパレスチナ難民キャンプで、取材らしい取材をしてこれずに帰ってきた原因はこういうところにあるんじゃないかと思う。人の人生を聞き出す資格というか覚悟がなかったのに、中途半端な気持ちで直面してしまって、考えることから逃げてしまったのかもしれない。もちろん人は、逃げ腰の姿勢の人には真実を語らない。そういう意味では、僕が久保田さんの背中にみた緊張感は、そういった覚悟の姿だったんだろう。

感情の高まりはすぐに収まり、インタビューはその後も淡々と続く。バシャールが入ってくると会話が柔らかくなって穏やかになる。オーストラリアに着く頃の話になると、笑いも起こるようになり、最終的にはとても和やかに終わることができた。今回聞けた話がどこまで久保田さん的に満足いくものだったかはわからない。ただ、僕個人としてはインタビューの直接的な内容以上にたくさんのものを得た経験となった。




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久保田弘信

久保田弘信HIRONOBU KUBOTA

PROFILE

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岐阜県大垣市出身
大学で宇宙物理学を学ぶも、カメラマンの道へ。旅行雑誌の仕事を続ける中で、ストリートチルドレンや難民といった社会的弱者の存在に強く惹かれるようになる。1997年よりアフガニスタンへの取材を毎年行う。2001年のNYテロを契機に、本格的に戦地の報道に関わりはじめる。アフガニスタン・カンダハルでの取材や、イラク・バグダッドにおける戦火の中からの報道を通して、自らの想いを世界に発信し続けている。近年はシリアでの取材に力を注ぎ、また日本での講演活動も精力的に行っている。

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