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CONCEPT
これからのかっこいいライフスタイルには「社会のための何か」が入っている。社会のために何かするってそんなに特別なことじゃない。働いてても、学生でも、主婦でも日常の中でちょっとした貢献ってできるはず。これからはそんな生き方がかっこいい。r-libではそんなライフスタイルの参考になるようなロールモデルをレポーターたちが紹介していきます。
# 036
HIRONOBU KUBOTA
June 07, 2017

r-lib | r-lib編集部 × 久保田弘信 戦場ジャーナリストの後ろ姿 #4

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戦場ジャーナリストの後ろ姿 #4

戦場ジャーナリストの久保田弘信さんが、友人のシリア難民に会いにオーストラリアに行くというので、10日間の密着取材をした。仕事に対する姿勢や、リラックスの仕方まで幅広くその哲学を垣間見る機会を得た。そして期せずして、戦場ジャーナリストに至る原点までを辿る旅となった。その貴重な時間を記した特別連載企画。

Reported by r-lib editorial

4日目


また早朝に物音で目が覚める。バシャールの母親だ。僕が起きたことに気付くと、まだ寝てろと言って外に出ていった。そして何かブツブツ言ってるのが聞こえる。完全に目が覚めてしまったのでタバコを吸いに外に出ると、彼女は椅子に座って聖書を読んでいた。昨日の物音もこれだったのだ。早朝に聖書を朗読するのが日課らしい。そして読むのを中断してコーヒーをいれてくれた。

アラブのお母ちゃんたちは、僕の数少ない統計では(本当にたまたまかもしれないが)だいたい無愛想で、喋り方が怖くて、でもとてつもなくおせっかいで優しい。バシャールの母親も例に漏れず、見た目も雰囲気も怖いがとても優しい。

そしていろいろなことを話してくれた。特に自分のルーツについて話してくれたのだが、正直難しすぎて全然理解できなかった。中東に住むキリスト教徒は複雑な立場に置かれやすい。母方の誰々がトルコのどこ出身で、その後どこに住んでそこからシリアのここに住み始めて、と日本語で聞いても覚えられないくらい複雑だった。それくらいずっと先祖の代から移動してきたのだろう。多くの日本人にはわからない感覚だ。移動することで、トルコ語からアラビア語へと言葉も変わってしまうのだから。そしてこれからは英語になる。彼女は「私はもう年だから」と何度も言った。

教会からの送迎車が来た。てっきり誰かの車に乗せてもらうのかと思ったら、大きめのバンでドライバーもいた。車社会のオーストラリアで車を持っていない人たちをピックアップしていくのだ。もちろん僕ら以外は高齢者で、老人ホームなどを経由して教会に向かう。バシャールは、停まるたびに降りて老人が乗るのを手伝う。教会では、僕らは完全にアウェーだったが、みんな暖かく迎えてくれた。





バシャールたちがトントン拍子で第三国定住できたのも、受け入れ先としてキリスト教のコミュニティがあったからなのは間違いないだろう。彼らは同じクリスチャンとしてバシャールたちを暖かく迎え入れているし、共通の価値観を持っているので同化もしやすい。聖書という共通の書物があるので、バシャールの英語力が飛躍的に向上したのも合理的な理由があったというわけだ。

久保田さんはあまり教会自体に関心がなさそうだったが、僕は実はとても楽しみにしていた。映画でよく観る日曜日の集会がどんなものか見れるからだ。

いよいよ礼拝が始まったのだが、僕の期待していた荘厳な雰囲気は一切なく、まるでTEDを観ているようだった。牧師さんはヘッドセットのマイクをつけて、手に持っているのはプロジェクターのコントローラーで、プレゼンするみたいに器用に画面を切り替えていた。ありがたい説教というより、社長のプレゼンをみんなで聞いてるという感じだった。子ども用に説く時間があったり、歌もバンドがあったり、総じてエンターテインメントだったが、これが現代のキリスト教なんだと思った。きっと初めて来た時にバシャールたちはびっくりしたに違いない。

しかし、ありがたいお話の中で、悪の対象が今の中東紛争の問題と連想してしまいそうな箇所があってから、久保田さんは席を立って出て行ってしまった(中座する人は結構いたので目立ちはしないが)。悪の対象を無意識に刷り込ませるかのような言い方だったというのだ。

僕も正確な表現は覚えていないが、おやっと思ったのは確かだ。でもまぁそんなもんだろうくらいの感じで流してしまったが、久保田さんとしては現地に友人もいるので、そういう捉え方をされるような言い回しを聞くのが耐えられなかったのかもしれない。

ここからは全くの僕の勝手な想像だが、久保田さんは宗教や神様に懐疑的なんじゃないかと思う。それは、神の名の下に行われた戦争によって、目の前でたくさんの人の死を見てきたから。だから潜在的に新たな敵対関係を生み出していくような教えには抵抗があるんだと思う。死んでいった本人たちには、神の祝福があったかもしれないが、少なくともそれを間近で見て、見送った久保田さんに神様は救いを与えられていないんじゃないだろうか。そこで神を信じることで久保田さんは救われるのだろうか。もしくは信じないことで救われるのだろうか。

宗教を信じることや否定することはそれほど難しくないだろう。でも一番厄介なのは、簡単に割り切れないくらい実際にいろんなものをこの目で見て経験してしまって、その人たちの信仰に対する思いまで受け止めてしまった時だと思う。信仰の問題から目を背けられない状況に巻き込まれてしまったとき、信仰はどういう形で自分の前に立ち現れるのだろうか。信じる信じないという選択を撥ねつけて、圧倒的な存在として立ちはだかったとき僕ならどうするだろうか。

しかし、それとは対照的にバシャールたちは明らかに宗教に、信仰に救われている。精神的にそうであることはもちろんだが、実際問題としてオーストラリア社会での受け皿になってくれているのは教会なのだ。そのコミュニティがなければ社会から孤立してしまう。そして、一般論でいうならば、強い信仰の結びつきは内部の結束を高めるが、それに対して攻撃的な外部には激しく抵抗する傾向にある。

神のために命をかけて戦って、死の恐怖と神に召される安堵がせめぎ合う中死んでいく人を見届けた時、自分ならどう思うだろうか。残念ながら僕には陳腐な想像しかできない。





久保田さんが今回ある話をしてくれた。

イラク戦争から帰国した後に人間不信になって、絶対に人に遭わないような山奥にこもったときのことだ。

誰とも話したくないほどに絶望に打ちひしがれていたけど、何日か経つと自然と独り言を話すようになって、気付いたら鹿に話しかけていたという。最初警戒していた鹿は、日に日に久保田さんに近づくようになってきて、最後の日には泣きながら鹿と話し、人間社会に戻ると告げて下山した。

たった数行で書いてしまったけど、ここに至る葛藤はどれほどのものだったんだろう。どんな出来事があって絶望したのか、どういう心境の変化があって下山したのか、具体的なことは聞いていない。でもとてつもなく重いものを背負って帰国して、その気持ちを置いてこようとして山に入ったのに、結局彼はまたそれを背負って戻ってきたのだ。

今ふと思った。久保田さんにとっての信仰の対象は自然なのかもしれないと。苦しくて何かにすがりつきたい時に、彼は大自然に吸い寄せられた。愚かで愛しい人間を包み込む存在は、人間の言葉によって書かれた聖書の中にあるわけでもなく、自然の中にあるのかもしれない。だからこそ、久保田さんが大自然の山の中で独り言を話し始めた時に、言葉を持った愚かで愛しい人間の世界に戻らざるを得ないと悟ったに違いない。



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久保田弘信

久保田弘信HIRONOBU KUBOTA

PROFILE

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岐阜県大垣市出身
大学で宇宙物理学を学ぶも、カメラマンの道へ。旅行雑誌の仕事を続ける中で、ストリートチルドレンや難民といった社会的弱者の存在に強く惹かれるようになる。1997年よりアフガニスタンへの取材を毎年行う。2001年のNYテロを契機に、本格的に戦地の報道に関わりはじめる。アフガニスタン・カンダハルでの取材や、イラク・バグダッドにおける戦火の中からの報道を通して、自らの想いを世界に発信し続けている。近年はシリアでの取材に力を注ぎ、また日本での講演活動も精力的に行っている。

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