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CONCEPT
これからのかっこいいライフスタイルには「社会のための何か」が入っている。社会のために何かするってそんなに特別なことじゃない。働いてても、学生でも、主婦でも日常の中でちょっとした貢献ってできるはず。これからはそんな生き方がかっこいい。r-libではそんなライフスタイルの参考になるようなロールモデルをレポーターたちが紹介していきます。
# 029
YURIE ISHINE
December 13, 2015

r-lib | r-lib編集部 れみ × 石根 友理恵 プロボノとして関わる国際貢献と文化交流〜映画『サーイ・ナームライ』の広報として〜

GENRESArrow国際協力文化

プロボノとして関わる国際貢献と文化交流〜映画『サーイ・ナームライ』の広報として〜

プロボノとして、現在ラオスと日本の合作映画『サーイ・ナームライ』の広報をしている石根さん。自身が社会人として積み上げたキャリアを、国際協力・文化交流などに活かして活躍されています。なぜこのプロジェクトに関わることになったかなどを聞いてきました。

Reported by Editor Remi


ー 今回のロールモデルは、高校時代の同級生の石根友理恵さんです。ちょっと不思議な感じがしますが、宜しくお願いします(笑)。早速ですが、現在どのような活動をしているんですか?

 よろしくお願いします(笑)。今わたしは、日本・ラオス合作映画『サーイ・ナームライ』の広報をプロボノ(各分野の専門家が、職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア活動全般)として手伝っています。
 長い準備期間を経て、2015年11月6日よりラオスで撮影が始まり、先日、クランクアップしたばかりです。日本・ラオスでの公開は、2016年春を予定しています。




ラオスにはメコン川っていうアホの川がある


ー ラオスでの映画撮影って、初めて聞きましたが、石根さんが関わるようになったきっかけは?

 初めてラオスに来たのは2年前で、すごく単純なきっかけなんですよね。2年前に父が急に亡くなり、同時に大失恋をして…空っぽになって、いろんな人に話を聞いてもらっていたのですが、ある先輩が、ウジウジしたわたしを見かねて、「ラオスにはメコン川っていうアホの川があるんや。それ見てアホになってこい!」というアドバイスをくれたんです。
 今までにないアドバイス過ぎて、これは行くしかない!と思い、その日に航空券をとってラオスに旅立ちました(笑)。まさかあの時の傷心旅行が、映画に繋がるなんて思ってもなかったです。



コン川 川の向こうはタイ



首都・ヴィエンチャン  街中には多くの僧侶たちの姿が


ー それはある意味、運命かも知れないですね(笑)。傷心旅行からどのように映画製作に繋がっていったんですか?

 ラオスを初めて訪れた時の感想は、「何もないところ」だったんですよね。特に地方では、現代的な娯楽の文化もなく、大自然と、人々が機織り機を使う穏やかな風景が広がっていて。「あれ、もしかして何もないと思っているのは自分だけ?」という不思議な感覚になり、知れば知るほど、この国に興味を持ち、この国の現在と、この先の発展を、しっかり目に焼き付けたいと思いました。そして、その中で自分が何かできることはないかと考えるようになりました。




 もともとわたしは、発展途上国の成長に寄与するような仕事がしたかったんです。webマーケティング・PRの仕事を選択したのも、自分が何か貢献できるとしたら、そこが一番早くアプローチできるんじゃないかと思っていたからなんです。だからスキルやキャリアも、人付き合いも、なんとなくそういう方向性で広がっていきました。
 そんな中、今回の映画のプロデューサーになる森に出会いました。森は、13年間ラオスに暮らし、ラオス初の観光客向け日本語フリーペーパーの発行や、現地アテンドを行う、まさに現地を知り尽くす人でした。その森からある日突然、「日本とラオスの合同映画を作るから、手伝って!」という連絡があったんです(笑)。

「ラオス人の・ラオス人による・ラオス人ための」映画


— 突然の連絡だったのですね。何故映画を作ろうと思ったんですかね?

 ラオスは、数々の内戦や周辺国の紛争に巻き込まれ、自国のカルチャーがほとんど育っていません。音楽やテレビ番組も、タイのものがほとんどなんです。でも近年、留学先で映画製作を学んだ若者が、「ラオス人の・ラオス人による・ラオス人ための」映画を作ろうと、土壌のない中でラオス・オリジナル映画製作を始めています。
 ラオスの人々は、一般的に頑張ることを推奨せず、ゆったり暮らすことを好む文化なのですが、映画製作をする若者たちは、自国の文化を今まさに生み出そう、という情熱と信念を持って、寝る間も惜しんで活動しています。その人生をかけた挑戦に、森が感銘をうけ、自分ができることに身を投じたいと思ったのが、このプロジェクトの始まりでした。



ラオスの映画界を牽引する、若手監督アニサイ氏 『サーイ・ナームライ』では監督補に


ー 若い情熱が生んだプロジェクトなんですね。日本からもベテランの映画人が、製作として参加しているそうですね。チームはどういう形でできていったんですか?

 わたしが初めて話を聞いたときは、正直「この人は何をいってるんだろう…」くらいにしか思いませんでしたが、森の熱意に触れるうちに、これは実現したら面白いことになるかもしれないと思いました。そしてわたしは、キャリアとしてプロモーション・広報を行っているので、その部分で協力できると思い、プロジェクトに関わることになりました。
 その後、森が交渉して、熊澤監督に監督を引き受けて頂くことができました。さらに監督の声掛けで日本側の映画人が、森の声掛けでラオス側の映画人が集まり、一つのチームが出来ました。それ以外にも、タイ人・カンボジア人・フランス人メンバーがいる、国際色豊かなチームです。現場は、ラオスの森の中で、いろんな言語が飛び交う空間でした(笑)。映画の素人が、右も左も分からず始めた映画製作がこの規模になるなんて、人生って本当に不思議ですよね(笑)。



— そんなにたくさんの国の方が集まっているんですね!大変なことはありませんでしたか?

 ゼロから生み出す作業ですから、大変な事だらけでした…。人・機材・資金がすべて不足していたんです。まず、国が異なると、働き方の考えも異なり、とくに大らかな国柄なので、スタッフ、キャスト含め一度交渉で確約した人材が、「家庭の事情」などで抜けていく事態が連発しました…スケジュール管理も大らかで、日本人の常識は通用しないと認識しましたね。
 また、例年より遥かに高い35度の炎天下の中、大自然の広がる村での撮影だったので、本当に体力勝負でした。







 さらに、この映画はほぼラオス語による撮影で、ラオス人キャストがほとんどなのですが、監督による各シーンの演技指導の中で、細かいニュアンスを伝えるのは、日本語からラオス語に変換して伝えるのがやはり難しく、当初は手こずりました。後半は、現場にも阿吽の呼吸ができ、スムーズになりましたが。
 しかし、1番スタッフにとって厳しかったのは、ご飯だったようです。ラオス奥地の森に数日こもり、1日撮影の中で、楽しみはご飯しかないのですが、ラオス式で毎食白米におかず1品というシンプルなもので、日本人にはかなり辛かったみたいです(笑)。
 とはいえ、1ヶ月間田舎にこもり、良い作品を作るという、全員一致の想いで撮影に取り組むので、やはり最終的には言語や国籍関係なく、一つのチームになっていましたね。



食費は1日1000円(3食) 白米は固定、おかずは基本1品でローテーション





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石根 友理恵

石根 友理恵YURIE ISHINE

PROFILE

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広島生まれ、神戸大学国際文化科学部卒。サイバーエージェント・ワンオブゼムでwebマーケティング、広報を経験した後、2015年よりフリーランスに。web領域を中心としたwebマーケティング・PR、執筆活動を行う。好きな言葉は諸行無常。

by r-lib編集部 れみ
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