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r-lib | 保坂和志 - 日経新聞 21.2.10

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日経新聞 21.2.10

Written by Kazushi Hosaka

今日(4/10)の日経新聞に掲載。

 コロナで約一年中断していた「小説的思考塾」というのをリモートで再開した。これは小説の書き方教室でなく、小説を思考のプロセスとして捉え直し、「書く」「読む」全般を考える試みだ。
 小説家はこれまで小説を語る言葉を持たなかった。信じられないだろうがそうなのだ。
 小説について語るほとんどの言葉は評論家の言葉で、小説家は自前の言葉を持たなかった(これはジェンダーやBLMや多様性とも響き合う)。作品の「出来-不出来」やテーマなどは、小説が作品として完成した状態を前提にしている。しかし実作者にとって一番の問題は、「いま書いているこの小説が完成するのか……」だ。
 作者は執筆中、長いトンネルの中にいる。進むずっと先にある(と感じる)光を頼りに書いているんだが、その日の調子によっては光はたちまち見失われる。その日書いた文章のささいな変調で、全体が崩れたと感じられる。三ヶ月、六ヶ月かけて書いてきたものは始めからやり直しか……。
 実際やり直しなんて、しょっちゅうあるのだ。一篇の小説がここにあるということは、いくつものやり直し・試行錯誤が作品の向こうにあるということでもある。小説の構想が天啓のように閃いて、一晩で一気に書き上げる、というのは、文学にまつわる神話で、そんなことは生涯に何度もない。というか、それは正しくは小説ではない。何よりそこには小説的思考が働いてない。
 小説は鮮烈なイメージの発露でなく、ためらい・戸惑い・停滞……の航跡だからこそ意味がある。英雄でない、ひとりの人間が生きる時間の厚みに関わってゆくのが小説を支える思考であり、これは論文や批評に使われる論理的な文章とは、根本的に、原理が違う。
 論理的文章は結論に向かって論旨が収束し、書き手の思考がはっきりしてくる。しかし小説はそうではない。書き進むうちに真逆のことを言い出すかもしれない。真逆ならまだしも、書くほどに考えの輪郭が失われて、あやふやになりさえする。
 人々はあやふやさを嫌うが、私は人間の思考は、あやふやさ・流動性・非恒常性によって深化すると感じる。

 小説的思考塾では、小説を完成された作品としてでなくプロセスとして考える。
 世間の人たちは誤解しているんだが、小説を書き出すとき、作者は結末がどうなるか、わかっていない。小説を書きながら、小説という表現形態を通じて、小説家はあれやこれや考える。そして事前の構想を書きつつ超えていく。そうでなければ小説家は、書くという自分の職業を通じて成長しない。
 実社会の仕事において、トラブルと発見があるように小説を書くプロセスにもトラブルと発見がある。小説は作者とは独立した運動体なので、裏切りもある。いっそ途中で放棄してしまうか、大幅に路線変更するか、書き手はそのつど考える。それは大変だが、その大変さが楽しい。順調にいくことだけが楽しいわけではない。
 『変身』で知られるカフカは事前の設計図がほぼゼロの状態で書き出した。カフカは巷間言われるような「現代人の不安」のようなテーマ設定もとくに設けてない。カフカの書き方はわりと場当たり式で、先が見えない。その「先の見えなさ」が、生真面目な評論家的思考の読者に不安を与えた。
 つまりカフカは、書いてあることが「不安」なのでなく、それを読む真面目な人の心境を「不安にさせる」。カフカがそのように場当たり式に書いたと知り、自分もそのように書いてみると、書くという行為がぐっと解放的になる。
 「作品を完成させる」という呪縛から解放されれば、「書く」ことが「考える」こととして機能するようになる(「完成させねば」という思いは、意外なほど、考えることから遠ざける)。そうなれば、プロの作家でなくとも「書く」ことが生涯の営みとなりうる。
 小説を書くというのは、言葉をいかに操るか、という閉じた退屈な作業ではなく、五感のすべてを使って、それを空間や風景にまで拡張させて、自分の経てきた歳月に働きかける、とてもアクティブな行為だ。
 小説的思考塾を書籍という形でなく、「しゃべり」による配信にした理由もそこで、本来、拡散する思考を体感してもらうのは、書き言葉よりしゃべり言葉の方がずっと有利だからだ。小説の言葉は本質において、書き言葉でなく全身から発せられる「声」なのです。

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