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CONCEPT
これからのかっこいいライフスタイルには「社会のための何か」が入っている。社会のために何かするってそんなに特別なことじゃない。働いてても、学生でも、主婦でも日常の中でちょっとした貢献ってできるはず。これからはそんな生き方がかっこいい。r-libではそんなライフスタイルの参考になるようなロールモデルをレポーターたちが紹介していきます。
# 020
YUKI OKA
January 30, 2015

r-lib | 村上 知美 × 岡 勇樹 医療福祉とエンターテインメントの融合で生み出す未来

GENRESArrow福祉

医療福祉とエンターテインメントの融合で生み出す未来

Kodomo Music & Art Festival
国籍の違い/年齢の差/障がいの有無/性別などの垣根を越え、あらゆる子ども達が芸術活動を通してコラボレーションを実現する音楽とアートの祭典。子ども達が主催者側に立って創り上げるフェスティバル。初年度の1日目は大雨が降って中止になり、多大な損害を被ったが、なんとか乗り切った岡さん。その際に多くの人に支えられていることに気付いたという。

Reported by Tomomi Murakami



- それって凄いですね!!私も同業者なのでレビー小体型認知症は知っていますが、重度の認知症なので、そこまで回復するって珍しいですよね? 

 そうですよね。その瞬間までは、「兄さん、どっから来たん?」みたいな感じだったんです(笑)。でもその瞬間に僕の事もわかったし、うちの兄貴の名前と妹の名前を呼んで、2人は今日来ないのか?って・・・あまりにそれが衝撃だったし、すごい事が今起きたなって思って、すぐ【音楽と認知症】っていうキーワードでネット検索をかけました。そしたら音楽療法っていうのが出てきて、日本ではまだ全然成熟してないけど、一応専門学校もあるし、じゃあもうこれしかないと思って会社を辞めてこの業界に飛び込んだんです。サラリーマンやってた時はバリバリの営業マンで家に帰らなかったんですけど、家族がまた危機的状況にあるのに、これではクラブで遊んでた頃と一緒じゃんって思ったんですよね。母に迷惑をかけたあの頃と何も変わらないなって。仕事ばっかりして、家族に何も還元出来てないのが嫌で、結局仕事も辞めて、音楽療法の専門学校に入りました。それからは色んな障がい児施設に慰問演奏に行ったりしました。
 そんなある日、ある島の障がい児施設に演奏に行ったんです。でも障がい児施設なのにオジちゃんオバちゃんが結構多かったんですよ。終わった後に施設長に「高齢の方多いんですね」って話したら、実は障がいを持って生まれてきた子は、この島に来たら次にお迎えが来る事はほとんどないんですよって説明されたんです。40年、50年も迎えが来ないままっていう状態の人がその施設は半数近くいたんです。それを聞いて、ちょっと固まってしまいました・・・それってつまり、障がいを持って生まれてきたから、そこに捨てられたようなもんじゃないですか。しかも離島なんですよ。その人達はそこの施設に入ったらもう一生出れないかもしれないんです。でも、その出れない理由が、結局こっち側にあるんじゃないかって感じたんです。本島側というか、社会側に。社会の受け入れ体制がなってないから難しい、っていう考え方はおかしいなと思って。



社会の受け入れ体制がなってないから難しい、っていう考え方はおかしい


ー 社会の制度や差別が理由で出てこれないんですね・・・本当は出れるのに。

 そういうのって実は結構いっぱいあって、家族が亡くなっちゃった人で障がいのせいで一人暮らしが出来ないって判断をされたら、すぐ施設に入れられちゃう人もいるんですよ。21世紀のこの時代に一体何をしてるんだって感じ。それでも日本はまだマシなほうで、海外では自閉症の子や知的障がいの子は外出させないっていう国なんかもまだあるんですよ。でも同じ人間なのに、そういうのはおかしいだろって思って、こういうイベントを運営しているんです。


- なかなかそういう病気や障がいを知るキッカケって無いですもんね。私は介護してるから知ってるけど、普通に生活していたらそんな機会無いですもんね。まずは知ることが大事ですよね。

 現場が考える、本質的な福祉の良さをちゃんと世界に発信しないとダメだと思うんですよね。



WellCON



WellCON

- でも福祉の良さって伝えづらくないですか? 私は福祉好きだからやってるし「福祉ってどう?」って友達に聞かれると、親もそういう歳になるしとか、自分が感じるやりがいを伝えるんですが全然伝わりませんね。例えば「歩けない人が歩けるようになったんだよ!!」とか「今までトイレで排泄できなかった人がトイレで排泄できるようになったんだよ!!それまでにはこういう経過があってね~」とか熱く説明しても、みんな「へぇ~~」みたいな感じで・・・温度差がすごいありますね・・・そういう人たちに伝われば凄く良いのになって思います。
 
 伝わっていかないとダメですよね。こういうところがいいんだよってひたすら発信するしかない。発信する仕組みを作ればちゃんとその現場で思いを持って活動してる人が発信出来る。

- 凄く良いですね!!介護って、きつくて汚くて給料が安いっていうイメージが強くて、踏み出せない人がきっと多いと思うんです。そういう人に対して、こうしたらもうちょっと踏み出せるよっていうアドバイスありますか?

 アドバイスはしてなくて、僕はもう現場に連れてっちゃう。触れ合う。それしかないと思います。いくら言葉で言っても意味ないというか。

- いいですね。現場に連れてってもらえる環境があるんですね、そこには。

 それなのに外部の人を受け入れない施設がいっぱいあるじゃないですか。そういうところは業界が変わるべきだと思いますね。人が足りないって言ってんのに。



SOCiAL FUNK!

俺もなんか出来んだな、人のために


- そうですよね!!凄くわかります!!では、活動を始めてから特に思い出に残るエピソードを教えていただきたいです。

 訪問介護って排泄とか入浴もするし、着替えも料理もしますよね。初めてあるお爺ちゃんの家に行った時に、麻婆豆腐食べたいって言われたんだけど、僕、致命的に料理が下手で(笑)。だから作るより食べに行こうよって言って横浜の中華街行ったんですよ。それで麻婆豆腐食べていたら、だんだんテンションが上がってきて「次は山下公園行きたい」とか、いろんな要望が出てきたんです。行こう行こうってなって、その日はいろんなとこに行きました。そしたら次からどこどこに行きたいって言うようになったんですよ。それでただ渋谷に連れて来ただけなのにすごいキラキラしてるわけ。僕以外の人は多分外出してないんだろうなと思って、引継ぎノートを見たら、もう4週間も家から出てなかったんですよ。「なんで4週間も家出ないの?」って聞いたら、「言いにくい」って。ヘルパーに言いにくいっていう理由が一つと、もう一つは、外出したいと言っても嫌だって言われると言うんです。マジで終わってるなと思って、引き継ぎノートにすごい色々書いたんですよ。そんなのおかしいでしょって。この人がやりたいように一緒にやるのが僕らの仕事でしょって。最初は全然反応無かったんだけど、段々「読みました」「僕もなんとかします」みたいなコメントが増えてきて、他の事業所の看護師やリハビリ担当の人もどんどんコメントするようになって、最終的にはみんな「今日は二子玉のデパートで受付嬢見てきました」とか「今日はCD買いに行きました」ってどんどん増えてきたんです。
 そんなある日、温泉に連れて行ったんですね。全身動かないから、僕と事業所の社長とでプカプカ浮かべてお風呂に入れたら、超気持ち良さそうな顔してたんですよ。「気持ちいい?」って聞いたら、「気持ちいい・・」って。「何年ぶりよ~温泉?」って聞いたら、40年ぶりって言うんですよ。40年ぶり!?ってめちゃくちゃ驚きましたよ。40年間温泉にも連れてってもらえなかったの?って、なんかそれがすごいショックで。でも逆に考えると、40年間やれなかった事を僕っていう存在一人がやる事で出来るのって、すごい事だなと。これまで自分という人間がそんなに何かを変える力があるなんて思ってなかったから、そのお爺ちゃんを40年ぶりの温泉に入れた時に、「俺もなんか出来んだな、人のために」って思いました。





 あとは「 Kodomo Music & Art Festival」を2011年にやった時ですね。よみうりランド遊園地を2日間借りて、協賛は多少入れたんだけど、自己投資でイベントをやりました。そしたら1日目大雨で台風みたいになって、中止にしなきゃいけなくなったんです。このために半年間ずっと練習してきた子ども達100人くらいがその日に出演出来ないって事になってしまって、半年間の努力が無になると思うと「ごめん、今日は中止にせざるを得ません!!」って発表をした時に、僕、超泣いちゃったんですよ(笑)。結局2日目はやったんですけど、経理処理してたら1日目の払い戻しとか色々あって結局、数百万円の赤字だったんです。まだ設立1年目だったので、予算も貯蓄もないし、これでもう終わったなみたいな感じに・・・で、弁護士や家族に相談して、もう破産申請をしなさいっていろんな人に言われて。凄く嫌だったけどそうせざるを得なくなって、一番支払いが大きかった音響屋さんに謝りに行きました。「申し訳ございません。僕ら払えません。ごめんなさい」って言ったら、めっちゃ怒られたんです。「何?お前、それで辞めちまうのか?」って。「俺は最近子どもが出来たんだ、来年4月に生まれる。4月に生まれる子どもを行かせるようなイベントがこの世の中には無かったから、君のやってるイベントのコンセプトに賛同して俺は参加したんだ。それなのに、そんな簡単に辞めちまうのか!!」って言われて。こっちはお金が払えない、ごめんなさいって言いに行ったのに、金の話は一切されなかった。「お前が気持ちでやってんだったら、やれよ!!」みたいに言われて。こんな人いるんだって思いました。結局その人がそのお金立て替えてくれて、「何年かかってもいいからお前は俺に返せばいいから、自分で計画を立てて、俺に教えてくれ。それを守ってくれればいい、俺はお前を信用する」って言われて、また泣いちゃいましたね(笑)。ありがとうございます!!って。2年経って返し終わったんだけど。このイベントのためにそこまでしてくれる人がいるんだ、ってわかった時にもうお金って理由では絶対辞めらんないなって思いました。そういうことがあって今に至ります。周りの人の理解とか協力が無ければ、とっくに潰れてる団体ですね、うちは(笑)。






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岡 勇樹

岡 勇樹YUKI OKA

PROFILE

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岡勇樹 a.k.a ゆーく
~プロフィール~
1981年 東京生まれ、AB型。
3歳から11歳までアメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコで生活。
帰国後、15歳でDJとドラムを始め、19歳でディジュリドゥという民族楽器の演奏を始める。
20歳でストリートパフォーマンス集団「ウブドべ共和国」を創り、活動開始。
21歳で母親を癌で亡くし、人生観を根底から覆される。
その後リラクゼーション業界の現場スタッフ/エリアマネージャー/店舗開発営業として日本全国47都道府県すべてを廻る。
26歳で退社し、音楽療法の学校に通いながら高齢者介護や障がい者移動支援の仕事を始め、「Ubdobe」を立ち上げる。
29歳で医療福祉・音楽・アートを融合させた「NPO法人Ubdobe」を設立し、代表理事に就任。
30歳でリラクゼーションセラピスト集団「UnplugTokyo」を設立。31歳で音楽レーベル「ONE ON ONE LABEL」を設立。
33歳で「株式会社ビーンズ」の取締役に就任し、ニューヨークでの訪問介護事業所設立に向けて奮闘中。
NHK出演を経て、厚生労働省の介護人材確保地域戦略会議の有識者に選任される。
現在はグリー株式会社のプロジェクトであるPlatinumFactoryの「介護のほんねニュース」編集長も務める。
<WHAT I DO(事業一覧)>
*NPO法人Ubdobe 代表理事 https://www.facebook.com/Ubdobe
*株式会社Beans 取締役 https://www.facebook.com/beanshelper
*Unplug Tokyo アドバイザー https://www.facebook.com/unplugtokyo
*ONE ON ONE LABEL 代表 https://www.facebook.com/oneononelabel
*介護のほんねニュース 編集長 http://news.kaigonohonne.com

by 村上 知美
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